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「大人の責任」 [日々のこと]

北海道新聞(夕刊) 2019年(平成31年)2月21日(木曜日)

ノンフィクション作家・エッセイスト 千石 涼太郎
「大人の責任」

昨夜、夕刊でこの記事を読み、心の中で思わず拍手をしました。

まず前半の部分です。

ーー犯罪は昔からある。悪人はいつの世にもいる。
人間というやつは、実に未完成なもので、誘惑にも弱ければ、身勝手な
気持ちは誰にでもある。自らを律することなくしては間違いを犯すものだ。
私自身も、自らの至らなさを自覚しつつも、無理矢理といえるくらいの
自己肯定をしなくては生きていけないような、そんな程度の人間である。

かなり自己中心的な思考が根っこに潜んでもいるし、依頼心も低いほうではないのだ。
ただ、その欲求を抑える理性やプライドを総動員して、どうにかこうにか、社会性を
持たせ、少しずつではあるが、人としての成熟度を上げようとしているに過ぎない。ーー

そして、中盤を引用します。

ーーそんな体たらくの私でも、昨今のニュースを見てると、「人としてどうなんだ?
いまの世の中、おかしくなりすぎてないか?」と思うことが多すぎる。
(略)
失言、暴言を繰り返す政府首脳に、公文書や統計を改ざんする官僚。幅寄せや煽り運転を
繰り返すドライバーに、不潔で不謹慎ないたずらをする回転ずしや牛丼屋のアルバイト。
芸能人や著名人の薬物や性犯罪事件等々。
倫理観や道徳観、マナーやエチケット以前に、法律というルールすら守れない大人の
なんと多いことか。(略)ーー

そして、私が心から憤っていたことを最後に書いてくれていました。

ーーその中でも、親による子供への虐待や、保護すべき大人の無策というか、無責任な
態度には、強い憤りを禁じ得ない。
千葉県野田市で起きた父親の虐待による心愛ちゃんの事件では、身勝手で無責任な
大人たちの姿が浮き彫りになった。

この父親は、おそらく仕事や社会で自己実現できない不満と欲求を家族にぶつける
ことでしか生きられない弱い人間。家族依存、子供依存の情けない大人の姿がそこに
見える。心の闇を血を分けた子への虐待としてあらわしたことは、人として許されざる
こと。万死に値するといっていい。(略)ーー

怒りは、SOSを出していた心愛ちゃんを助けられなかった大人たちにも。

ーー野田市に限らず、児童相談所も教育委員会も学校も、自分たちの仕事はなんなのか
と、もう一度深く考えるべきとは思うが、この事件に携わった人たちには、もうその
資格すらないのではないか。解雇相当と思うが、そうでないなら、せめて自ら職を
辞する道を選んでいただきたいものである。ーー


私は読み終わって、千石涼太郎さんの言葉に強く共感し、溜飲が下がる思いがした。

「大人の責任」…大人がこんなことをしていて、これから成長していく子供たちや
青少年に、何を言えるのだろうかと思う。

東野圭吾の“麒麟の翼”じゃないけれど、大人は子供に“間違った方程式”を教えている
のじゃないか?

そんな私の中の憤りを、千石涼太郎さんがスッキリと表してくれました。










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