SSブログ

誰しもの人生。 [生き方]

主人の母に初めて会った時、私は19歳で、義母は63歳くらいでした。

主人には、13歳違いの姉がいます。

義父母は、もう子どもは出来ないと思っていたところに主人が
生まれ、とても喜んだそうです。

私の母は、まだ46歳くらいでしたので、63歳の義母は少し年取って
見えました。

結婚して義父母と一緒に住んでいましたが、ある日義母が私にこう言いました。

「年は自然に取って行くけれど、心は若い頃とちっとも変わらない
の。」と。

まだ二十代の初めの私は、六十代になっても心が変わらない、と
聞いて、とても不思議に思いました。

でも今、義母と同じ年齢になって、若い頃に不思議だったことが
やっと分かるようになりました。

六十代になり、客観的には、老年に差し掛かっているのでしょう
が、心はそうではないのです。

寿命というのは、今若い人でも、年取っていても、いつ訪れるかは
分かりません。

その日がいつ来るかは分からないけれど、その日まで、いろいろな
制約があったとしても、生きたい生き方で生きられたら幸せです。

義父母の人生も、山あり谷ありでしたが、自分達の人生を生きて、
亡くなって行きました。

私達家族も、共に喜んだり心配したりしました。
でも、自分達の人生を生き切って、幸せだったことでしょう。

私の子供達も、私達夫婦をとても心配してくれています。

田舎に行くことでの、経済のこと、病気や不測の事態が起きた時
等のことです。

今私は、心身共に弱っていて、ただでさえ頼りない人ですから、
心配かけてしまっていますが、義母がしみじみと言っていたように、
心は若い頃と変わっていないのです。

寿命の日が来るまで、自分達なりの人生を生き切りたい。

迷惑かけないよう生きたい。

絶対なんて言えないけれど、迷惑かけないよう、頑張って生きたい。

でも、義父母の人生も、誰しもの人生も、迷惑かけたり、かけられたり
しながら、精一杯生きて死んで行くのが人間のように思います。

子供たちへ。心配してくれて本当にありがとう。

再生











nice!(6)  コメント(0) 

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。