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天からのメッセージ [生き方]

今朝のことです。

外から、“キキッー、ドン!”という鈍い音が聞こえました。

主人と二人で同時に、「ぶつかったね。」と顔を見合わせました。

窓の外を見てみると、車体の前の右側がつぶれたタクシーがいて、白い乗用車
から、年配の男性が降りて来て、話を始めるところでした。

本当に、人生、いろんな事が起きて来ます。
わざとやったわけではないのに、迷惑をかけてしまうこともあります。

先週の職場での私がそうでした。
もう一度、見直していれば気付いたはずのことでした。
結果的に、迷惑をかけてしまうことになりました。

今朝の乗用車の男性も、もう一度確認するか、慎重に運転していれば、ぶつかる
ことはなかったでしょう。

でも、“もう、終わったことは元に戻せません”
“「なんてバカなことをやったんだ。バカ、バカ、バカ」と、気がすむまで自分を
ののしってよいが、後悔だけはしないことだ。”

これは、2009-4-05に私が書いたブログ、『後悔しない』に出て来るフレーズ
です。

そして、2009-9ー24の『人生の鉄則』にも、こう書いています。
“変えられない過去のこと、変えられない相手の気持ち、それらはすべて神仏の
領域のことと考えてお任せしてしまおう”

“「済んだことは神に任す」と口ずさんでみてください。”

そして、2010-07-07の『宇宙の愛情表現』にも書いたばかりでした。

“目の前の課題やトラブルが「宇宙の(最高の)愛情表現」だとすると、あなたに
何を伝えようとしているでしょうか?”

“起きて来ることは、「天からの愛に満ちた気付きのメッセージ」です。”


そうなんですよね。

「天からの愛に満ちた気付きのメッセージ」だとすれば、感謝以外の何ものでも
ないんですよね。

「気を付けて慎重に運転しないと、いけませんよ。」と、
もっと大きな事故を起こさないように、愛に満ちた気付きのメッセージを天は送って
くれたんですね。

「気を付けて慎重に仕事をしないと、いけませんよ。」と、
もっと大きな問題を起こさないように、愛あるメッセージを私に送ってくれたんですね。

事が起きると、落ち着くまでは、なかなかそうは思えなくて、自分を「バカ、バカ」と
ののしり、後悔してしまうのですが、でも“終わったことは元に戻せない”のだから、
天からのメッセージを、感謝の気持ちでありがたく受け取り、同じ失敗を繰り返さない
ように生きて行きたいと、心から思います^^。

7月31日の羊蹄山です。

ひまわりと羊締山.jpg

さあ、8月になり、また新たな気持ちで仕事に人生に取り組んで行こうと思います^^!
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ライフ・レッスン [生き方]

『ライフ・レッスン』  エリザベス・キューブラー・ロス  
             デーヴィッド・ケスラー      著     角川文庫

数年前、この本に出会った時の感動を忘れません。

“「一生」とよばれるこの時間のあいだには、学ぶべきさまざまなレッスンがある”
私たちは、それを学びにこの世に生まれて来たのだと知りました。

この本で著者は、人生の15のレッスンを語ってくれています。

第一章  「ほんものの自己」のレッスン
第二章  愛のレッスン
第三章  人間関係のレッスン
第四章  喪失のレッスン
第五章  力のレッスン
第六章  罪悪感のレッスン
第七章  時間のレッスン
第八章  恐れのレッスン
第九章  怒りのレッスン
第十章  遊びのレッスン
第十一章 忍耐のレッスン
第十二章 明け渡しのレッスン
第十三章 許しのレッスン
第十四章 幸福のレッスン
最終レッスン

数年前、私の心が最も動かされた章、第十一章 忍耐のレッスンから抜粋をしてみます。

――人生は経験の連続だ。たとえその時の自分にはわからなくても、すべての経験には
理由がある。なんらかのメッセージがある。
生起した事態のなかには、かならず必要なレッスンが含まれている。 

現に起こっている事態を拒絶したり、泣き言を言ったり、変えようとしたりするのではなく、
黙然としてそれを経験すればいいのだ。
あらゆる経験は私たちを大いなる善や癒しへと導いてくれる。

あなたが経験する事態はことごとく、苦汁をなめたり、煮え湯を飲まされたりする経験の
対象も含めて、その人を新しく生まれ変わらせるために生じている。

いかなる状況、いかなる時にあっても、宇宙があなたの人生にもたらすものは、あなたが
そうなることになっているような人になるために必要な経験である。
真実の鍵は信じることに・・・・耐えることにある。――


数年前、この章を読み、本当に励まされ勇気をもらいました。
今回、12月の初めからのこの一ヶ月で経験したこと、そして考えたことにも大きなメッセージ
があり、私が“そうなることになっているような人になるために”必要な経験であり、
素晴らしい学びのレッスンであったのだと思います。

目の前に何かが起きて来た時は、やはり感情として、つらかったり苦しかったり寂しかったり
します。大いに煩悶もします。
でも、起きて来たことが、私のために必要であり、学んで成長するための貴重なレッスン
なのだと知れば、感謝の気持ちに満たされます。

応援していただいている、目に見える存在・・・家族、友人、知人、職場の人、そしてブログ
の方たち、本当に感謝でいっぱいです。

そして目には見えないけれど、確実に応援してくれ見守っていてくれている方たちの存在
・・・サムシンググレートさん、守護霊さん、精霊さん、ご先祖さま、本当に、ありがとうござい
ます。

今年も素晴らしい1年でした。
2月からブログを始めさせていただき、つたない文章を綴らせていただいています。
第1巻目の転職、第2巻目の転職、そして今第3巻目の仕事を精一杯やらせていただいて
います。いろいろありましたが、良い学びの経験に感謝です。

7月には姪っ子が亡くなり、生きること死ぬこと、人生について目一杯考えました。
起きて来ることすべてが、ライフ・レッスンなんですね。

来年は、どんなライフ・レッスンを学んでいくことになるのかな。
学び、少しずつ成長し、“そうなることになっているような”自分になって行きたいと思います。

ニセコは、すごい雪でした。もう1メートル以上積もっています。
パウダースノウで有名なニセコの雪ですが、これはアスピリンスノウと言うのだそうです。
キラキラ光っていました。何かの動物の足跡です。

雪の上の足跡.jpg

雪景.jpg

今年、本当にありがとうございました。
後半、あまり更新出来ませんでしたが、読んでいただき、本当に感謝いたします。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆様、どうぞ良いお年をお迎えください♪♪♪^^

自らを癒す [生き方]

トンネルの中に迷い込んだように思う時、いつも本を読んで来ました。
いろいろな本を読みながら、静かに考えながら、思いを巡らせているうちに、少しずつ
トンネルの先に明かりが見えて来るのでした。

意志では忘れようと努力していて、もうあの罵声を聞くことはないことも分かっているのに、
心の深いところで、Kさんに対してではなく、自分に対して自分を責めていることに気がつき、
苦しんでいました。

宇佐美百合子 著  『あなたはあなたのままでいい』~自分を愛するための50の言葉~

その中に「自らを癒す」という章がありました。
その文章を、抜粋してみます。


自分自身というコップがあると想像してみましょう。

傷つくとコップから愛が消え、
癒されれば、自然に愛がほとばしる。
私たちは、そんなふうにできているのです。

大きな愛に抱かれれば一時的に傷口はふさがりますが、
本当に傷を癒すことができるのは自分自身しかいません。

自らを癒す・・・・・・そのためには、
ただ、いまあるがままの自分を
慈しんであげることしかありません。
何も要求しないで、
叱咤激励なんかしないで、
傷ついたそのままの自分をそっと抱きしめてあげるだけ。
自らの自然治癒力が、
ゆっくりとコップに愛を満たしていくのを見守るだけです。


この文章を読んだ時、トンネルの先にやっと明かりが灯りました。
自分の能力に自信をなくし、自分を責め、でもそうじゃないと励ましてくれる人に応えなければと、
自分を鼓舞し、叱咤激励し、静かに苦しんでいました。

でも、いまあるがままの自分を、何も要求せず、慈しんでいくことが、今の私には必要なことなの
だと知りました。
自然治癒力が傷をふさぎ、コップに愛が満たされていくまで、静かに自分を見守ること。
それが、「自らを癒す」ことであり、本当に自分の傷を癒すことが出来るのは、自分自身しかいない
ということなんですね。

まだ少し時間がかかりそうですが、本当に立ち直るために、自分で自分を癒すために、静かに
自分を見守る日々をいただこうと思います。
応援のパワーをうれしくいただきながら、コップに愛があふれる日まで・・・♪
  

喜ばれるため [生き方]

今日は、この本を読んでいました。
『笑顔で光って輝いて』  小林正観 著    実業之日本社

正観さんは、人間がなんのためにこの世に生命肉体をもらったかというと、“喜ばれるため”
だと言います。

そして、人間のみではなく、鉱物も植物も動物も、すべてのものには魂が入っていて、すべての
物は“喜ばれるため”に存在していると言います。

たとえば、コップの中にも魂が入っていて、喜ばれる存在になって生きるぞと決めて、この世に
生まれました。
水やお湯をためることで役に立っているので、このあいだは機能し、魂が宿っていますが、粉々に
割れて液体をためられなくなったときに機能を失い、魂が天上界に帰るのだそうです。

機能=役割とすれば、人間はその人それぞれの多種多様な役割を担っています。
多種多様ではありますが、“喜ばれる存在”として生まれてきたのです。

“喜ばれるため”にこの世に生まれて来た私たちという存在は、だからもう存在するだけで意義が
あるのですね。
今がどんな状況だとしても、病気であるかどうかも関係なく、必ず“喜ばれる存在”なのです。

そして人は、“喜ばれると嬉しい”という本能を持っているのだそうです。
なるほど、「ありがとう」と感謝されて、うれしい、幸せと思うのは、人の本能だったんだと思いました。

では、“喜ばれる”ためには、どのように生きていけばいいでしょうか。

正観さんは、喜ばれるように生きるうえで、重要なポイントがあると言います。

それは、「お金をかけない」ですることが優先順位で一番だというのです。
たとえば、温かい笑顔、優しく接する、きれいに掃除をする等、人間関係で一番喜ばれ、重要なのが
その人の態度、生き方、笑顔だということです。

お釈迦様の「無財の七施」です。
  優しいまなざし
  思いやりある言葉
  温かい笑顔
  感謝の心で人に接する
  手足を使い人のために汗を流す
  席や場所を譲る
  一夜の宿を提供する

このように、お金をかけず体で示せる行為が一番喜ばれ、お金や物を使って喜ばれるのは、
第2、第3の順位だということです。

お金をかけることもなく、誰にでもできることが、一番喜ばれ、そして喜ばれることによって
人は嬉しくなり、幸せになる。
そういうことだったんだなぁ、これを“実践”していけばいいのだなぁと思いました。

いろいろ難しく考えることなく、以前に自分の目標と考えた“和顔愛語”を基に、何か自分の体を
使ってやれることをしていけばいいのだなぁと思いました。

ブログの皆さんの真摯なコメントを読ませていただき、いろいろな考えや思いを知ることができ、
本当にうれしく、勉強になります。
いつも本当にありがとうございます。


本当の幸せ [生き方]

もう、大体書きたいことは書いて来たような気がしたので、今日はブログを書くのを
お休みしようと思っていたのですが、急に11時すぎてから書き始めています。

先日の「生きることの意義」の記事にいただいたコメントに、“生きていて良かったと思う時は、
誰かに「ありがとう」と言ってもらった時”という言葉がありました。

私はこのコメントを読ませていただいた時、ジーンとして、なんだか自分へのキーワードの
ように思いました。
“感謝すること”の大切さを日々実行していて、「ありがとう」や「ありがとうございます」を
たくさん言っていたけれど、逆に私は誰かにそう言ってもらえることを、どれくらいしている
だろうか、と思ったのです。

そして今日、ある雑誌を読んでいて、こんな言葉が心に飛び込んで来ました。

「本当の幸せって、自分が他の人に何かをしてあげて、その人に喜んでもらったときに感じる
ものなんです。
人に喜んでもらったときに自分が幸せになれるんだということをまず自覚して、それを自分の
土台にすれば、人生の目的が見えてきます。」

「幸せというのは誰か他の人から与えられたり、天から降ってくるものではなくて、
自分の行動によってつかむものだということを意識することです。」

「他人が助けてくれると思わないこと。自分の問題を解決できるのは自分だけなんだと覚悟して、
自分から動くことによって解決するんだと強く思うこと。」


これは、原田真裕美さんの言葉です。
この方の著書は数冊持っていて、傍線だらけになっていますが、今日は上記の言葉を
雑誌で見て、とても心に響いてきたのでした。

「自分の行動によって」・・・つまり、“実践”していくこと、それも人に頼らず、自分から動くことの
大切さを思いました。

まさに、私へのキーワードです。
行動し、実践して行こうと思います。


和顔愛語 [生き方]

『feel blue』の詩より。
今日はこれを選んでみました。

「人の荷物は背負わない」

朝 挨拶をしたのに
無視した人がいた
「何か嫌われることをしただろうか」
その日1日 ブルーになった
でも 本当は
相手の機嫌が悪かっただけ
昨夜 家族とケンカしたらしい
こちらには 関係のないこと

何かにつけて 文句をいう人がいる
「そんなに私が気にくわないのか」
だんだん 生きるのが嫌になってくる
でも その人は
人生の不満を八つ当たりしているだけ
こちらに非があるわけじゃない

感情や気分は その人の荷物
人の荷物は人の物
他人の荷物は背負わない
それが 自分の身を守るコツ


こういうことって、きっとありますよね。
子どもが幼稚園の時、毎朝幼稚園まで歩いて送り届けるのですが、前日楽しくお話を
した人に、「おはようございます♪」と挨拶しても、何度かお返事をしてもらえない時があり
ました。そんな日はやはり、「何か嫌われることをしただろうか」と考えたものでした。

でも、私以外の人にも同様だったことを知り、後からご家族と確執があったことを聞きました。

今回の職場は、仕事時間以外は本当に和気あいあいとしていて、その中に私も受け入れて
いただいているのが感じられて、とてもうれしかった。

でも仕事は、どんな仕事も厳しいものだと思います。
新しいことを覚えていくまでは、ある程度時間がかかりますから、教える人というのは大変
です。
専門に教える係や、研修期間が設けられているわけではないので、自分の仕事をしながら
の教える作業ですから、負担があるわけです。

でもKさんのように怒鳴ってイライラして教えるのは、せっかく採用してもらい、一生懸命覚えよう
と努力している人が、次々と辞めて行く結果に繋がります。
それは、会社としても一緒に働く人たちにとっても大きな損失だといえます。

Kさんが、この詩のように「人生の不満を八つ当たりして」いたのかどうかは分かりません。
でもこの短い期間にもかかわらず、私が“怒鳴り声”にトラウマを持ち、心の深いところに痛みを
持ったことは事実です。

職場が改善されることを願うと共に、私自身もこの詩のように“自分の身を守るコツ”を身につけ
ていきたい。
いただいた命を大切に幸せに生きていくなら、やはり楽しく生きていきたいと思うからです。

人の心はガラスのように繊細です。
誰かのちょっとした仕草や、一瞥に深く傷ついたり、逆にたった一言の言葉や微笑みに大きな
喜びを感じたりします。

和顔愛語・・・今はっきりと、私の目標になりました。

このことに気づくために、気づかせていただくために、この経験をさせていただいたのだと
今はっきりと分かることが出来ました。

マンションの入り口の双子ちゃんのチューリップがまだ元気だったので撮ってみました。

DSC01159.jpg

明るい笑顔で優しくて良い言葉を言う人生に、リ・スタートします♪


感謝と喜びの積み立て [生き方]

朝、うぐいすの鳴き声で目覚めました。
昨日ニセコに着いた時、今年初のうぐいすのさえずりの饗宴に迎えられました。
北海道にも、春がやってきました。

今、いろいろな鳥の鳴き声を聞きながら、穏やかな朝の時間を過ごしています。
幸せだなぁと思います。

いろんな方のブログを拝見し、美しいお花に感嘆し、ご旅行の素晴らしい景色や風物を
一緒に楽しませていただいたり、朝の気持ちの良いお散歩にすがすがしい気分にさせて
いただいたり、いろいろなお考えに感心したり、本当に幸せを感じます。

ある雑誌に、竹田和平さんという人の「貯徳問答講」のことが載っていて、付録に“貯徳手帳”
が付いていました。
竹田さんは言います。
――真の豊かさである「徳」は、心の中に積み立てるのです。
その元になるのが、「ありがとう」の感謝の気持ちと、「ワクワク」の楽しい気持ちです。
だから、あなたが理想の自分に近づき、夢を実現させるための一番の近道は、
心の中をいつも「ありがとう」と「ワクワク」のエネルギーで満たしておくことです。

「ありがとう」はまさに、幸運を生み出す母、魔法の言葉であり、「ワクワク」の信号に嘘はなく、
まさに自分を突き動かす最高のエネルギーです。
そこで、一日1行で幸福が舞い込む“貯徳手帳”の出番です。

この手帳に毎日、「ありがとう」と感謝したこと、「ワクワク」と楽しい気持ちになったことを
書き込んで行きます。
日常に感謝と喜びを見つけて「書き出す」という作業は、それだけで夢を引き寄せる大きな
エネルギーになり、潜在意識にまで感謝や喜びが刷り込まれます。
すると、現実を変えることのできる行動が出てきます。

毎日コツコツと「ありがとう」と「ワクワク」を積み立てていくことで、心の中に楽しいことを
積極的に見つけ出す姿勢、何事にも感謝の気持ちを持つ姿勢が築かれ、それがやがて
大きな幸せと豊かさを呼び込むことにつながります。

さらに応用編があり、あえて嫌だったことや不快に思った出来事について、それを「福の種」
に変えて、書き込んでいきます。
一見「嫌なこと」を「嬉しいこと、感謝すべきこと」と見なすことができれば、すべての事柄は
学びの宝庫だと気づけるはずです。
それこそ、毎日が成長のためのヒントでいっぱいになることでしょう。
これが自然にできるようになれば、どんなピンチもチャンスに変えられるようになり、まさに
無敵になれるんです。

365日、一粒一粒、かわいい種をまくように、日々の中で起こる一つ一つの出来事を大切に
「ありがとう」と「ワクワク」を書きためていきましょう。

以上の竹田さんの考えにとても賛同しました。
ブログに毎日の貯徳を書き積み立てて行こうと思いました。
コツコツ続けていくことによって、感謝と喜びのエネルギーに満ちあふれ、少し成長した自分に
なれることを祈りながら。

幸せの発信地 [生き方]

「一人一人が幸せの発信地になってください。」

ニドムでの鈴木秀子さんのお話の中で印象に残った言葉です。

その頃の私は、“家出して行方が分からなくなっている子ども”の母であり、懊悩と焦燥の
ただ中にいる、空の色も分からなくなっている人でした。

そんな私が、いつか幸せの発信地になれる日が来るのだろうか?と思いました。
でも一人一人が幸せになることで、その波動が伝わっていき、周りも世界も変わっていく
と知り、心の中でいつかそんな人になりたいと思ったことを、はっきりと覚えています。

鈴木秀子 著  『神は人を何処へ導くのか』      三笠書房

当時読んでいたこの本を再読しました。
人生を竹の成長に例えたこの文章が心をとらえました。

―― 竹は節なしに伸びたら、立派な竹にはなりません。
   それと同じように、人生には順調にいかないときが必ずあります。
   それは竹が節をつくるときで、力を蓄えていくときなのです。
   その蓄えた力で節をつくり、それが、やがてすくすく伸びるときの基礎になるのです。

   幸福には多くの場合、そのもとになる大きな苦しみがあります。
   苦しみの傍らには、必ず慰めが共にあり、厭なことが起こったときというのは、高い
   ところに飛躍できるチャンスでもあるのです。
   つらいときを経ることが大きな力になっていくのです。――

まさに、息子と私はあの時、竹の節を苦しみながらつくっていたのだと思います。
幸福になるために、高いところに飛躍していくために、力を蓄えていたのだと思います。
そして、節をつくることが出来たとき、天から“成長”という大きなプレゼントをもらうことが
出来たのだと思います。

そして人生には、節をつくる機会は何度でも訪れます。
なぜなら、節なしには立派な竹になることが出来ないからです。
次の節づくりは、娘と共につくっていくことになりました。

娘は結婚した相手のDVにより、心を病んでしまいました。
最初はこれ程苦しむことになるとは思いませんでした。
でも何度かの心のピンチは命をもおびやかすものでした。

今も娘は必死で節をつくっています。
力を蓄え、飛躍し、思いっきり幸せになるために。
新たに側にいて、愛し応援してくれる人に恵まれ、立派な竹に成長していくことでしょう。

大きなことは出来なくても、日常の中で、家族や周りの人に、心地よく思ってもらえたら
どんなにうれしいでしょう。
今ここで出来ること、ほほ笑むことや祈ること、美味しいご飯を作ること、よい言葉を言うこと、
小さくてもいいから、心地よい波動が伝わればいいなと思います。

多くの幸せのもとには、大きな苦しみがあります。
その時に節が出来、蓄えられた力によって、ぐんと成長して行きます。
そして、その幸せが少しでも伝わるよう、一人一人が幸せの発信地になっていけたら、
周りも世界も、幸せに変わっていくように思います。



佐藤初女さん [生き方]

小原田泰久 著   『佐藤初女さん、こころのメッセージ』    経済界

佐藤初女(はつめ)さんは、青森県の弘前に住み、岩木山の麓に「森のイスキア」という
施設を建て、そこを訪ねる人達を、心のこもった料理でもてなしています。

初女さんと森のイスキアは、映画『地球交響曲 第2番』で紹介され、有名になりました。
ふきのとうを、まわりの雪を丁寧によけてから摘んでいたり、くるみをすり鉢でやさしくつぶして
いる姿が印象的でした。生きているものの生命を尊重するやさしさが伝わって来ました。

この著書は、こんな言葉から始まります。
―― 人って、こんなにもやさしくなれるんだ。
 支え合うことで、これほどまでに勇気と希望をもてるんだ。
 八十歳をこえた一人の“おばあちゃん”の生きる姿が、私たちにとてもあたたかくて明るい
 未来を見せてくれています。
 彼女の、人を思いやりながら今を一生懸命生きる姿勢には、人を生まれ変わらせる偉大な
 エネルギーが秘められています。――

たとえば、初女さんの作ったおにぎりを食べたことで自殺を思いとどまった人がいます。
なぜ、初女さんのおにぎりを食べることで生きる意欲が湧いたのでしょうか。
小原田氏は思います。
「おにぎりの中のご飯一粒一粒にまで心を配っている彼女のやさしさ、思いやりが、悩み
傷ついた人に、おにぎりを通して伝わるのではないか」と。

でも、初女さんの活動の中心は、悩める人を慰めたり励ましたりすることではありません。
自分の体験と実践を通して、「いのちを大切にする生き方」を伝えていくことなのです。
それが、結果的には慰めになったり、励ましになったり、生きる勇気につながったりして
いくのでしょう。

初女さんは、人を大切に、いのちを大切にします。
「今のままのあなたでいいんだよ」と頭をなででくれることを求めてイスキアに来る人もいる
かもしれません。
でも、もし今のあなたがいのちを粗末にしているようなら、決して「そのままでいい」とは
言いません。
何か気づきを得てくれたら、そして行動してくれたら、と思っているのです。

やさしさだけでは人は元気になりません。一時的には元気になっても、しばらくすると落ち込
んでしまいます。もっと深い思いやりは、厳しさを伴うこともあります。
あるいは、放っておくことが大切になることもあります。
何が本当のやさしさなのかを、初女さんは知っているのだと思います。

初女さんも「決して私も理想的な子育てをしてきたわけではありません。でもだからこそ、自分
に言い聞かせるような気持ちで伝えていきたい」と、出産や子育てのことも語っています。
今日私が娘に言われた言葉も、これからお互いが成長していくために必要なことだったのだと
思います。子育ては自分育てに他ならないことを再認識しました。

最後に、佐藤初女さんの言葉を、自分と、そして子供たちに送ります。
―― 人はいくつになっても成長します。
    人生とは気づきによって、
    こころを切り開いていくことそのものです。――



後悔しない [生き方]

~どんなに悔しいことでも、やってしまったことは後悔しない~

『「好きなことだけをして生きていける人」はここが違う』  中川昌彦 著   新講社

私が通信教育で勉強をスタートした頃に出合い、とても感銘を受けた本『自己啓発のすすめ』
の著者である中川氏の、『好きなことだけを・・・』の本の中で、心の中で思わず手をたたいた程
得心したのが、この“どんなに悔しいことでも、やってしまったことは後悔しない”でした。

ーーこれは数ある生活の知恵の中でも、ズバ抜けて有益な知恵だ。
このモットーを身につけ、実践するだけで、楽天的に愉快に毎日を過ごせるだろう。ーー

私たちは、しょっちゅう失敗しながら生きています。
時には悔しくて仕方がないことも起きて来ます。
でも自分がやったことなので、どこにも持って行きようがありません。
そして、もう終わったことは元に戻せません。

ーーだから、いっそ、きれいさっぱりあきらめ、ケロッとするしかない。ーー

そして氏は言います。
ーー「やってしまったことは後悔しない」というルールをくり返し実践していると、人生はあきらめが
肝心だなということが、しみじみとわかってくる。
それにつれて、心も澄んでくる。もしかしたら悟りの心境に近づけるかもしれない。
座禅を組んで、心頭を滅却し、煩悩を断ち切る苦労などしなくても、「やってしまったことは後悔
しない」という単純明快な指針一本で、十分こと足りるのではないか。ーー

うん!すごく好きです、このルール。

ーーそんなわけで、「なんてバカなことをやったんだ。バカ、バカ、バカ」と、気がすむまで自分を
ののしってよいが、後悔だけはしないことだ。
・・・もうないものは、ないのだ。
そういう心の決め方まで含めて、「やってしまったことは後悔しない」というモットーは、
不敵な光りを放つのだ。ーー


本当に、いろんなことを考えすぎる私には、なんて気持ちの良いスッキリした楽しいルールなん
だろうと思います。
何か失敗してしまった時でも、これでいいんですね。
「やってしまったことは後悔しない」・・・潔くて、心にしみる言葉です。


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