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喜ばれる存在として。 [生き方]

今日は、いつも売掛金の請求書を出す仕事をしている小料理屋さんの
フロアの仕事を頼まれたので、行って来ます。

いつもは二人の人が交代で、ママと働いているのですが、二人共
抜けられない用事があるとのことで、ママから私に依頼の電話が
来ました。

まだ心身が万全でない私は、ちょっと迷いましたが、ママが助かるなら、
頑張ってみようと思いました。

正観さんは、こう言っています。
ーー私たちは、「喜ばれる存在」として生きるために、生まれてきたらしい。
喜ばれる存在として生きるとは、ただ「頼まれやすい人」であることです。ーー

頼んでもらえるということは、実は有難いことなんですね。

以前にもブログに書きましたが、元気な時は、「世のため人のために役立ちたい」
とか、「幸せの発信地になりたい」等、思っているのに、弱い私は、ひとたび
心が大嵐になると、それどころではなくなってしまいます。

でも正観さんが言っています。
ーーまず私自身が明るい状態になる。楽しく生きる。 それが、ほんとうの「世のため、人のため」です。ーー

私も、本当に「世のため、人のため」に役立って行きたいのなら、まず
自分が明るく楽しく生き、頼まれごとを喜んで引き受け、喜ばれる存在
として生きることが大切なんですね。

今日の仕事も、ママにもお客様にも喜んでもらえるよう、笑顔で丁寧に
頑張ってこようと思います!

明るく楽しく



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読んだ本の高さ分。 [本のこと]

『脳がワクワクする「語学」勉強法』 茂木健一郎著

P・82
僕が最近よく思うことは、「読んだ本の高さ分だけ、人は成長すること
ができる」ということです。
(中略)
たとえば、500冊読んだら500冊分の高さだけ自分の足元に土台が
できあがり、その高さ分、遠くまで世界を見ることができます。
50冊なら50冊分、100冊なら100冊分の高さだけ、視界は開けて
いくのです。

一歩も積み重ね

読書とは、「過去に読んだ本の数だけ、生きるうえでの英知を手にすること
ができる」ものといえるのではないでしょうか。


ーー私は本読み人間なので、この文章からとても勇気をもらいました。
でも疑問は、自分のたくさんの本の高さ分の英知を、私は手にしているの
だろうか?ということです。
何回も読んだ本でも、再度読むと、「へ〜!そうだったんだ」なんて思う
ことがしばしばある私です。

でも、p・67に、こう書いてあります。

また、読書は、「体験」としてとらえることも必要です。
つまり、読んだ内容すべてをずっと覚えておこうとしなくていいのです。
極端な話、読んだ片っ端から忘れていってもかまいません。
(中略)
一冊の本を読んでそこから得られる具体的な情報よりも、むしろ二、三年
経ってから思い出すような「無意識に蓄積された影響」こそが、真にその人
にとっての貴重な読書体験の成果なのかもしれません。


ーー読んでも、結構忘れている私の頭ですが、茂木健一郎さんは、忘れても
いいというのですから、こんなにうれしいことはありません。

脳に蓄積された無意識の影響、それが読んだ本の高さ分だけ、私の成長に
役立っていると信じると、うれしい気持ちになって来ます。



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自分で書いて来た人生。 [本のこと]

『神様を味方にする法則』 小林正観 著
P・150
どうも私たちは生まれる前に、自分の人生をシナリオに書いてきているようです。
自分はどういう場所で、どういう名前で生まれ、どのような人生を経て、
いつ死んでいく、ということを全部自分で決めているらしいのです。

自分のシナリオどおりに生まれ、ときに病気や事故に遭い、予定どおりの日時に、
予定どおりの事情で死んでいく。不運・不幸で死ぬわけではない。

自分で書いたシナリオですから、人生で起こることは全部、自分にとって
ベストの出来事です。ベストなのだから、「病気はツラい。嫌だ」
「どうして事故に遭ってしまったのか」などと、思い悩む必要はありません。

死についてもそうです。50歳で死ぬ、80歳で死ぬ、100歳で死ぬ。
一人ひとりがみんな違う。あれをしたから死んだとか、こうしていれば
死ななかったとか、そういうことはありません。

P・151
病気や事故で死ぬわけではなく、老衰で死ぬわけでもない。
死ぬのは、それが自分で決めた「寿命」だからです。

もっと根源的な部分の話をすれば、人間は、長生きをすることが目的
なのではありません。死ぬまでに何をするか、何を残すかだけ。


P・199
自分でシナリオを書いて、シナリオのとおりに生まれてきたのなら、
力を入れて人生に取り組む必要はありません。
ただ目の前に起きたことについて、感想・論評・評価をせずに、笑顔で
「はい、わかりました」と受け入れていくことだけ。

P・192
すべての人が、それぞれに事情を持っているけれども、どんな状況でも、
愚痴や泣き言を言わずに、笑顔で受け入れて、楽しい話題や情報を提供する。
口に出す言葉がいつも明るくて楽しいものであったなら、周りの人たちも、
神様も、みんな味方になってくれます。

神々しく

ーー人生に起きて来ることが、すべて自分が書いたシナリオどおりである
ならば、出会う人も、病気も、死も、抵抗せず受け入れるしかないわけですね。

大切な人の人生も、自分で書いて来たシナリオどおりに生きているのだと
思えば、出会う人も、病気も、死も、その人の設定どおりなのだと、
心痛めずに受け入れればいいのですね。

だとしたら、生きている間は、できるだけ楽しく、自分も相手も、細胞が
喜ぶような言葉を口にして、明るく過ごしていこうと思います。

自分で書いて来た人生を、丁寧に、笑顔で、決めて来た日まで。




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新しい心のレベルを目指して。 [生き方]

20年程前に、小林正観さんの本に出会ったこと、ここから
私の人生観が大きく変わって行きました。

不思議でした。
「うれしい、楽しい、幸せ」と言っていると、そういう現象を
引き寄せ、「愚痴・不平・不満」を言っていると、やはりそういう
現象を引き寄せる。…それが宇宙の法則だと。

今では、たくさんの人が同じようなことを言い、「引き寄せの法則
なども知られるようになりましたが、私は正観さんの本で初めて、
宇宙の不思議な力に気付かされました。

change

「ありがとう」という言葉の偉大さや、感謝、笑顔の大切さを知り、
人の悪口を言ったり、嫌なことをしない等、私の人生の指針となりました。

でも、嫌なことや辛いことがあった時にも「ありがとう」と思い、言う
ということは、とても難しいことでした。

ただ正観さんに教えてもらった通り、他人に愚痴や悪口を言わないこと
は、ずっと守って来ました。

人間的に幼い私は、人一倍怖がりで、不安がりで、寂しがりやで、泣き虫
です。
こんな私のことを支えて来てくれたのは、夫と娘です。
いつも、黙って聞いてくれて、私の心は支えられて来ました。

私は、この年齢になるまで、さまざまな経験を積み、いろいろな思いを
感じ、たくさんの本を読み、人間として少しは成長できたかもしれません。

というより、成長を目指して、ここまで生きて来ました。

これから起きて来ること…何が起きて来るのか、そしてどう対処して行ける
自分になっているのか。

西田文郎さんの『はやく六十歳になりなさい』という著書の中に
「生きるとは、新しい心のレベルへ進むこと」という章があり、
六十歳以降は、〝整理期 キーワード「哲学」〟とあります。

引用してみます。
ーー六十歳を過ぎると人生の整理期に入ります。第二の人生へのスタート
でもあります。
年齢に相応しい自分なりの価値観や人生観を確立し、今度は自分が若い
世代の師となるべき年代です。ーー


私は今、人生の第二のスタートを切ろうとしています。
だからこそ、今までと同じではなく、成長した自分であろうと決意
しています。

怖がりで、不安がりで、寂しがりで、泣き虫だけど、以前と同じ
であっては、若い世代の師にはなれない。

でもきっと、家族にだけは、弱い自分を見せると思う。
されど、良い師を目指して、進んで行かねばと思っているのです。

人は弱い。だから家族はありがたい。
支え合って来ました。

でも、誰しもが死というピリオドは免れない。
六十代は、それをきっちりと見据えて生きなければなりません。

新しい心のレベルに進んで行くために努力し、そして正観さんの
言うように、「誰からも喜ばれる人」を目指して行きたいと思って
います。

笑顔で、うれしい言葉を言い、喜ばれることをして行く人生を
目指して行きます。


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祈り。 [本のこと]

『新 祈りのみち』 高橋佳子 著
「感謝の祈り」

すべてが
生かされ
育まれ
見守られているように
わたくしも
生かされ
育まれ
見守られ
そして
導かれています。

ありがとうございます。

祈り

ここで合わせる手を
誰に向かっても
合わせることができるように
導いてください。

わたくしに注がれた光を
他に伝えることができるようように
わたくしにもたらされた恩恵に
報いることができるように
わたくしを支えてください。

***

「父母への祈り」

父に感謝します。
母に感謝します。
あなたたちがいて、今のわたくしがあります。
わが父母を敬い、愛し
子としての道を尽くして祈ります。

わたくしを生み育ててくれた
両親に光を与えてください。
両親が光に満ちた道を歩めるように導いてください。

***

「子への祈り」

わが子を助け愛し育み
親としての道を尽くして祈ります。

わが子に光を与えてください。
わが子が
健やかに
たくましく
愛に満ちた人となるように
支えてください。


ーー悲しいけれど、お互いの思いがすれ違うこともあります。
意見が食い違うこともあります。

でも、この祈りは、祈り続けて行きたいと思っています。












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未来には必ずいいことが。 [本のこと]

『神様からのBright word』 日下 由紀恵 著
P.84
人生がある日
突然ひっくり返されてしまったと感じるなら
あなたはメビウスの輪の上にいます。
焦らずそのまま前に進めば、
ちゃんと穏やかな場所へ
戻れるようになっています。
しかも今までとは比べものにならないほど
景色のいい場所へ。

P.85
ある日突然、予期せぬ出来事や問題が起こる。
悲しみや不安でどん底へ突き落とされる。
出来事の渦中はいつも大嵐……。

でも大丈夫!
人生はメビウスの輪。
行き止まりも迷い道も落とし穴もない。
進めば進むだけ、高い次元へ運んでくれるのです。

予期せぬ出来事は
いつもがんばっているあなたを上のステージへ運ぶ、
神様から差し伸べられた温かな手。

いつか今の場所を見下ろして
懐かしく話せるときが必ず来ます。


…私はこの著者の本の中の言葉に、何度も励まされて来ました。

そして以前のブログに書いた、赤毛のアンの「道の曲がり角」。
松本侑子さんの文章……人生には、誰しも予期もしない出来事があり、
道の曲がり角が訪れます。曲がった向こうに何があるか、未来は誰にも
わかりません。
しかし、「曲がった先には最高のものが待っている、そう信じることにしよう」、
このアンの心がけが、人を幸福へと導いていく……。これが、著者モンゴメリが
私たち読者に贈るもっとも大切なメッセージです。

…以上の文章も思い出しました。

未来

私も、予期せぬ出来事や問題が起きたら、人一倍大嵐になってしまうけれど、
未来には必ずいいことが待っていると信じたい。

私の子供たちにも、「曲がり角」が訪れたことがありました。
本人の心が一番大嵐だったけれど、私たち親もそうでした。
辛い時期、助け合い支え合って、一緒に曲がり角を曲がって来ました。

今、私たちにも「曲がり角」が訪れています。
そして、曲がった先には最高のものが待っていると、アンのように
信じて、生きて行けたらと思います。






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「今を生きる」 [生き方]

『人生のルール』 リチャード・・テンプラー 著

この本の帯には、こう書いてあります。

ーー個人として、家族や友人として、世界の一員として、どう生きるか?
人生のあらゆる場面で役立つ100の行動基準ーー

この著書より、抜粋してみたいと思います。

P.2. はじめに

はたから見ていて、人生の達人に見える人がいる。

彼らはどんな場合でも、そのときいちばん適切な言葉を口にし、いちばん
好ましい行動ができる人物だ。そして、誰からも好かれ、仕事や生活を共に
したいと思われている。彼らはどんな困難でも上手に受け流し、いつも幸せ
そうに見える。

彼らはいったい何が違うのだろうか?
他の人が知らない、何か大切なことを彼らは知っているのだろうか?
それは誰でも学べることなのだろうか?

答えはイエスだ。本書はそうした人が守っている行動基準=「人生のルール』
をまとめたものである。


ーー目次を見ると、個人のルール、パートナーシップのルール、家族と友人
としてのルール、社会の一員としてのルール、世界の一員としてのルール、
の5部に分かれ、100のルールが載っています。

今日は、その中のルール20 「今を生きる」より、抜粋します。

p54 (略)今を生きるとは、自分が生きていることに感謝し、今日をかけがえのない
一日としてすごし、今、この瞬間、充実した人生を送る努力をすることだ。

未来

「もっとお金があれば」「もっと健康なら」「もっといい仕事があれば」…。
こうした願望は、言い始めたら切りがない。しかも、これがかなえば幸せに
なれるかといえば、そんなにうまくはいかない。願いがかなったとしても、
ほかの新たな願望が必ず現れてきて、幸福は先延ばしにされてしまう。

こうした願望は忘れよう。そのためには、今、自分が持っているものに感謝
しながら、夢を見たり、計画を立てたりすることだ。そうすれば、未来に
ばかり目を向けているより、今、幸せな気分になれるだろう。

《未来はきっと素晴らしい。しかし、それを夢見る今はもっと素晴らしい。》


ーー未来に何が起きて来るのか、それは誰でも分かりません。
でも、今、生を与えていただいていることに感謝して、今を精一杯生き、
不安ばかり思うより、夢を見たり、計画を立てたりして、良い未来を
思いたいと思います。

でも、我が子よ、憂うことなかれ。
ルール36には、「引き際を見極める」もあります。
心配して、これ以上心を痛めないでね。
本当に、たくさん、ありがとう。

人生に何が起きて来るかはわからない。
だからこそ、引き際を見極めることも大切ですね。

学びの途中の人生です。心して進んで行きたいと思います。







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財産。 [生き方]

2010年の1月から、続けている仕事があります。
ススキノの、小料理屋さんのような居酒屋さんの、請求書を出す
仕事です。

私は、このブログを、2009年に、転職体験記を綴ろうと始めました。

事務職を、通算18年やって来て、違う仕事にチャレンジしてみたい!
と思ったのでした。

そしてこの小料理屋さんの募集に応募して、採用になったのが、
2008年頃でした。でも、主人が、やはり夜の仕事はダメという
ことで、折角採用していただいたのにすみません、という気持ちで、
主人と一緒にママのお店に一度おじゃましました。

その後、売掛金の請求書を出す仕事をしてもらえないかとの要請が
ママからあり、その仕事を続けて来ました。

私が、プーだった去年、お店で働いてほしいとの、ママからのうれしい
オファーがあったのですが、主人が、私との夕食以降の時間が無くなる
ことは、生きている意味が無いと言うので、お断りさせていただきました。

でも、請求書を出す仕事の関連で、月に何度かお店に伺うのですが、
今日行ったら、ママがこう言ってくれました。

「過去は、すぐに忘れるのがいいけれど、辛かっただろうけど、
その経験は、財産なんですよ。人は必ず死ぬんですから、いろんな人
がいて、させてもらえる経験は財産なんですよ」と。

さすが、たくさんの経験を積んで来たママの言葉だと思いました。

そして何度も言っていたのが、私のことを一所懸命考え守ってくれ
ている私の主人に感謝するように、ということでした。

私が元気になるようにと、折り鶴も折ってくれていました。

折鶴

財産……すごい言葉です。

心に響きました。

今まで生きて来て、本当にたくさんの財産が私の中にできていることに
気付きました。

ありがとう、感謝の思いが、胸にあふれて来ました。

おかげさまで、心が少しずつ落ち着いて来ました。

財産……すごいキーワードをいただきました。






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誰しもの人生。 [生き方]

主人の母に初めて会った時、私は19歳で、義母は63歳くらいでした。

主人には、13歳違いの姉がいます。

義父母は、もう子どもは出来ないと思っていたところに主人が
生まれ、とても喜んだそうです。

私の母は、まだ46歳くらいでしたので、63歳の義母は少し年取って
見えました。

結婚して義父母と一緒に住んでいましたが、ある日義母が私にこう言いました。

「年は自然に取って行くけれど、心は若い頃とちっとも変わらない
の。」と。

まだ二十代の初めの私は、六十代になっても心が変わらない、と
聞いて、とても不思議に思いました。

でも今、義母と同じ年齢になって、若い頃に不思議だったことが
やっと分かるようになりました。

六十代になり、客観的には、老年に差し掛かっているのでしょう
が、心はそうではないのです。

寿命というのは、今若い人でも、年取っていても、いつ訪れるかは
分かりません。

その日がいつ来るかは分からないけれど、その日まで、いろいろな
制約があったとしても、生きたい生き方で生きられたら幸せです。

義父母の人生も、山あり谷ありでしたが、自分達の人生を生きて、
亡くなって行きました。

私達家族も、共に喜んだり心配したりしました。
でも、自分達の人生を生き切って、幸せだったことでしょう。

私の子供達も、私達夫婦をとても心配してくれています。

田舎に行くことでの、経済のこと、病気や不測の事態が起きた時
等のことです。

今私は、心身共に弱っていて、ただでさえ頼りない人ですから、
心配かけてしまっていますが、義母がしみじみと言っていたように、
心は若い頃と変わっていないのです。

寿命の日が来るまで、自分達なりの人生を生き切りたい。

迷惑かけないよう生きたい。

絶対なんて言えないけれど、迷惑かけないよう、頑張って生きたい。

でも、義父母の人生も、誰しもの人生も、迷惑かけたり、かけられたり
しながら、精一杯生きて死んで行くのが人間のように思います。

子供たちへ。心配してくれて本当にありがとう。

再生











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『コーヒーが冷めないうちに』 [生き方]

YouTubeで、『コーヒーが冷めないうちに』のダイジェスト版を
見ました。

コーヒーが.jpg

薬師丸ひろ子と松重豊の場面を見て、涙があふれました。

数年前からこの本は、本屋さんで平積みになったり、新聞の広告に載った
りしていました。

新聞の広告には、〝過去に戻れる喫茶店で、4人の女性たちが紡ぐ、
家族と、愛と、後悔の物語。〟と書いてあります。

9月21日から映画が公開されているのを知り、昨日観に行って来ました。

涙もろい私ですので、覚悟して行きました。

でも、しみじみとした涙が出て、後味の良い、いい映画でした。

ー〝過去は変えられないけれど、未来は変えられる〟という勇気。

ー〝思っていること、ありがとうやごめんなさいは、いつかではなく
今伝えること〟の大切さ。

を、教えてもらいました。


いつからでも生き直せる。…そう思いました。

いただいた命を、大切に、慈しみ、楽しんで、生きて行こうと思いました。


娘と娘のダンナさんに、心から感謝したい。

息子に、そしてMちゃんにありがとう!

一緒に映画を観て、静かに涙を拭い、共感し合える、そしていつも
私を慈しんでくれる主人に感謝です。

過去に戻ることは出来ないけれど、未来は変えて行ける!

あたたかな、幸せな未来に。

みんなが幸せに生きて行ける世界に。

勇気を持って変えて行きたい!と思いました。






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